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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和32年(う)91号 判決 1958年10月28日

本籍 鹿児島市西田町一八〇番地

住居 同市長田町九番地

元天洋建設株式会社々長兼旅館「まつもと」経営 松元道生

大正四年七月一七日生

本籍 鹿児島県鹿児島郡谷山町上福元四四六六番地

住居 同所

元天洋建設株式会社取締役会長 鹿児島県信用漁業協同組合合連会理事 谷山信用漁業協同組合長

明治三九年四月七日生

本籍 長崎市西小島町一二番地

住居 鹿児島市鷹師町五番地

元天洋建設株式会社副社長 大渡義夫

明治四五年三月二五日生

本籍 鹿児島県鹿児島郡谷山町上福元四二三一番地

住居 同所

元天洋建設株式会社常務取締役 地福尚哉

明治四二年二月一五日生

本籍 福岡県柳川市細工町五八番地

住居 鹿児島市永吉町五〇五の一番地

元天洋建設株式会社常務取締役 幸田宏

大正一四年一二月八日生

本籍 鹿児島市草牟田町四三七七番地

住居 同市原良町枯木ヶ迫市営住宅二五号

元鹿児島県土木部計画課課長補佐 四元幸男

明治四四年四月二四日生

本籍 鹿児島県姶良郡加治木町反土二四八三番地

住居 同所

元加治木町長 曽木隆輝

明治三七年三月六日生

本籍 鹿児島市上竜尾町一二七番地

住居 同市高麗町一五八番地

元鹿児島県土木部計画課長補佐 草野透

明治四五年三月三日生

本籍 長崎県南高来郡有家町一一一七番地

住居 鹿児島市上荒田町二〇八四番地

元鹿児島県土木部計画課長 隈部正人

大正二年九月一八日生

本籍 福岡県八幡市槻田二一三〇番地の一

住居 鹿児島市山之口町一五番地

上妻建設株式会社々長 上妻正行

明治三四年一〇月一六日生

事件名 被告人松元道生に係る淫行勧誘、監禁

被告人松元道生、同地福馨、同地福尚哉、同幸田宏、同大渡義夫、同上妻正行に係る贈賄

被告人隈部正人、同草野陽透、同四元幸男、同曽木隆輝に係る収賄

被告人大渡義夫に係る暴行

被告人松元道生、同地福馨、同地福尚哉、同幸田宏に係る公正証書原本不実記載、同行使

被告人地福馨に係る背任

原判決 昭和三一年六月二八日鹿児島地方裁判所言渡

控訴申立人 鹿児島地方検察庁検察官(被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同四元幸男、同曽木隆輝、同草野透、同隈部正人に対し)

被告人松元道生、同上妻正行、同幸田宏、同大渡義夫、同隈部正人

被告人地福馨、同草野透の弁護人浜田虎熊

出席検察官 西向井忠実

主文

原判決中

被告人地福馨に関する有罪部分、

被告人隈部正人に関する有罪部分、及び無罪部分のうち昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実第二の中第一の(3)に関する部分、

被告人草野透に関する有罪部分、及び無罪部分のうち昭和二九年一一月八日附起訴状公訴事実第二の中第一の(四)に関する部分、

被告人曽木隆輝に関する昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第二の一(第一の一に照応する部分)同公訴事実中第二の二の中第一の二イロニに照応する部分を各破棄する。

被告人地福馨を懲役一年六月に、

同隈部正人を懲役四月に、

同草野透を懲役六月に、

同曽木隆輝を懲役六月に、

各処する。

本裁判確定の日から被告人地福馨に対して三年間、被告人隈部正人、同草野透、同曽木隆輝に対し各一年間右刑の執行を猶予する。

被告人隈部正人から金二、二〇〇円を、同草野透から金二、七〇〇円を、被告人曽木隆輝から金二、〇〇〇円を各追徴する。

訴訟費用中

原審証人米盛順子、同松井葉留子(昭和三〇年一月二八日附請求分)同伊集院満里子(同上)同若松信子(同上)に支給した分は被告人地福馨負担、同岩山ムメに支給した分(同上)は被告人地福馨、同曽木隆輝と相被告人大井兼次、同兼元清隆の負担、同上入佐光子に支給した分は被告人曽木隆輝と相被告人大井兼次の負担、同岩山ムメに支給した分(昭和三一年四月二五日請求分)は被告人地福馨、同隈部正人、同曽木隆輝と相被告人大井兼次、同兼元清隆、同横山肇の負担、同伊集院満里子に支給した分(昭和三一年四月二七日請求分)の二分の一は被告人地福馨、同曽木隆輝と相被告人大渡義夫、同幸田宏、同熊原徹の負担、同若松信子に支給した分(同上)は被告人地福馨、同曽木隆輝と相被告人大井兼次の負担、同松井葉留子に支給した分(同上)は被告人曽木隆輝、同草野透と相被告人兼元清隆、同横山肇、同大井兼次の負担、同川原侃に支給した分は被告人地福馨と相被告人幸田宏の負担、同秋丸光良、同赤尾登、同時任泰、同恒吉晃に支給した分は被告人曽木隆輝の負担とし、当審証人伊集院満里子に支給した分は被告人隈部正人、同曽木隆輝、同草野透の負担、同松元道生、同大渡義夫に支給した分は隈部正人、同曽木隆輝の負担、同四元幸男、同草野透、同幸田宏、同田中武熊に支給した分は被告人隈部正人の負担、同地福馨、同岩山ムメ(昭和三三年九月一三日請求分)に支給した分は被告人曽木隆輝の負担、同横瀬大八に支給した分は被告人草野透の負担とし、

当審国選弁護人杉尾利雄に支給した分の内昭和三三年一一月六日支給分は被告人地福尚哉、同幸田、同上妻、同隈部の昭和三三年四月一八日支給分は被告人地福尚哉、同幸田、同上妻の負担とし同住友尚平に支給した分は被告人地福尚哉の負担とし、同江川庸二に支給した分は被告人松元道生、地福尚哉、同幸田宏、同上妻正行の負担とする。

被告人隈部正人に関する本件公訴事実中昭和二九年一一月一三日附起訴状中第二の中第一の(1)に照応する部分、被告人草野透に関する同年一一月八日附起訴状中第二の中第一の(三)に照応する部分に関する検察官の控訴を棄却する。

被告人曽木隆輝に関する本件公訴事実中昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実第二の二のうち第一の二(ハ)に照応する部分、及び昭和二九年一一月一一日附起訴状公訴事実第二の点に関する検察官の控訴を棄却する。

被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同四元幸男に関する検察官の本件控訴はいずれも棄却する。

被告人松元道生、同大渡義夫、同幸田宏、同隈部正人、同草野透、同上妻正行の本件控訴はいずれも棄却する。

理由

検察官の本件控訴趣意(被告人上妻正行を除くその余の被告人に対する)は検察官鎌田亘名義の控訴趣意書に記載したとおりであり、被告人松元道生につき弁護人松村鉄男名義と同杉尾利雄名義の、被告人地福馨、同大渡義夫につき弁護人浜田虎熊名義の、被告人隈部正人につき弁護人大園若雄名義の、被告人草野透につき弁護人浜田虎熊名義の、被告人幸田宏、同上妻正行につき弁護人後藤英橘名義の、各控訴趣意書に記載したとおりであるから、いずれもこれをここに引用する。

当裁判所の検察官の控訴趣意に対する判断は次のとおりである。

論旨第一の一(昭和二九年一一月一三日附起訴状の公訴事実中第一の(2)の点被告人松元道生外四名が共謀して昭和二八年六月一九日頃被告人隈部正人に贈賄したとの点に関する事実誤認)について

所論は原判決は右同日頃被告人隈部が旅館「まつもと」に行つたとは確認できないとして無罪の言渡をしたが右の事実は証第一六号工事出面表の記載と伊集院満里子の検察官に対する供述証第五号運転日報の記載、松元道生、四元幸男の各検察官に対する供述調書によりこれを認め得るから原判決が無罪を言渡したのは事実誤認であるという。

そこで所論の各証拠を検討すると、なるほど伊集院満里子の検察官に対する昭和二九年一一月一日附供述調書によると被告人隈部が所論の六月一九日に相被告人四元幸男と「まつもと」に行つたのではないかと推測せられる記載はあるが右供述の根拠は主として証第一六号工事出面表の記載である。しかし右工事出面表の記載内容は伊集院満里子の供述(即ち二重丸が性交を表す記載であるのに性交をしなかつたと供述しなから二重丸の記載あるが如く)松井葉留子の原審公判における供述(日時の点において正確を期し得ない)等によれば記載内容自体正確であるとは認められず、殊に同人の昭和二九年一〇月一八日附検察官に対する供述調書によると右と同日である六月一九日には加治木町長曽木を「まつもと」で接待し自分も同町長を自動車で送つた旨供述しており前記同人の供述は必ずしも全面的に措信し得るとは認められない。所論の松元道生の検察官に対する供述調書部分も右と同様の趣旨で信用することができない。その他記録上被告人隈部が同日「まつもと」に行つた事実を確認すべき証拠は見当らないから原判決が右の事実につき証明不十分と認めたのは相当である。

論旨第一の二(昭和二九年一一月四日附起訴状中公訴事実第一の二、三、四の点被告人松元外四名が共謀して昭和二八年五月一七日頃、同月二二日頃、同月三〇日頃の三回被告人大井兼次に贈賄したとの点に関する事実誤認)について

所論は原判決は右各事実につき確証がないとして無罪の言渡をしたが原審証人若松信子、同松井葉留子の供述、検察官に対する若松信子、被告人大井の各供述証第一六号等を綜合すると右公訴事実は認め得られるから原判決は事実を誤認したという。

しかしながら所論の点については論旨第一の十三被告人大井兼次に関する所論につき昭和三二年一一月二七日当裁判所において判示したとおり若松信子の検察官に対する昭和二九年九月一六日附、同年一〇月一三日附、同年一〇月二三日附各供述調書の記載と証第一六号工事出面表の記載内容の不正確性とを綜合すると被告人大井が昭和二八年五月中に所論の三回に亘り若松信子と性交し且所論の接待を受けた事実を確認することはできないからこれと同旨にいでた原判決は相当である。

論旨第一の三(昭和二九年一〇月八日附起訴状記載の公訴事実中第一の別表六被告人松元外四名が共謀して昭和二八年六月一五日頃被告人横山肇に贈賄した事実についての誤認)について

所論の点についても前掲当裁判所の判決において論旨第一の十四につき判断したように(同判決中起訴日附が一一月四日とあるのは一〇月八日の誤記と認める)証第一六号工事出面表、証第一七号超過勤務控綴の各記載と松井葉留子の検察官に対する供述調書によると松井葉留子が性交した相手は被告人横山だけではなく昭和二八年七月中に三日、一一日、二二日、三〇日と同被告人と性交した外同月一七日には林政課長翌一八日に計画課長と各性交、同年八月八日、同月一〇日にも被告人横山以外の者と性交した事実が認められるので右証第一六号の二重丸の存在と松井葉留子の前掲供述調書によつては所論の事実を確認することはできない。原判決が右事実につき犯罪の証明がないと判示したのは相当である。

論旨第一の四(昭和二九年一一月八日附起訴状中公訴事実第一の(三)の点被告人松元外四名が共謀して昭和二八年八月一〇日頃被告人草野透に対して贈賄した事実についての誤認)について

所論は原判決は同事実につき無罪の理由として被告人草野が松井葉留子と性交した事実は認め得るが右は「まつもと」以外の某旅館でなされたこと、同旅館の支払を横瀬大八がしていること、草野も松井に若干の金員を与えていることから被告人草野が職務に関して同女と性交する意思があつたとは認められないとしたが同人等が「まつもと」を避けたのは再三業者の家で遊ぶのはまづいという意味であつたと解せられるし、某旅館の支払を横瀬がしていることは同人等の収賄意思の存否には何の関係もない。被告人草野が松井に金銭を与えたことも確認できない。草野が一旦「まつもと」に上り込み同女等を連れ出したのは収賄意思の発現したものと認むべきであるのにこれを消極に解した原判決は事実誤認であるという。

よつて記録について調査すると被告人草野が本件において起訴せられた事実は昭和二八年七月二四日頃「まつもと」で饗応を受け松井葉留子と性交した事実、同年八月八日同所で饗応を受け同女と性交した事実、同月一〇日頃さつま温泉附近の某旅館で同女と性交した事実、同月二七日鹿児島駅でサントリーウイスキー角瓶一本の贈与を受けた事実、同年九月九日頃「まつもと」で饗応を受け同女と性交した事実である。所論は第三回目の同年八月一〇日さつま温泉旅館附近の某旅館で松井葉留子と性交した事実であつて同性交した事実の存することは被告人草野も認めており他の証拠と対照しても明らかである。そこで右の性交するに至つた経緯を記録について調査すると、同被告人の昭和二九年一一月二日附検察官に対する供述調書、横瀬大八の同年一〇月二七日附検察官に対する供述調書、松井葉留子の同年同月二三日附検察官に対す供述調書によると前記八月一〇日被告人草野は横瀬大八と他の宴会の帰途「まつもと」に立寄り階下においてお茶を飲んでいた際船川二見が客の接待のことにつき大渡義夫から殴打された等のことがあり同女等を慰労するためということで松井、船川の両名を誘出し某旅館に赴いた事情を認め得る。勿論松井葉留子を「まつもと」から伴れ出すについて被告人松元の許可を得たことは認められるが前記の供述調書を綜合すると右「まつもと」以外で同女等が性交の要求に応ずることは同女等の自由意思によるものと考えていたと認められる点もあり、従つて「まつもと」で飲食の饗応を受けることを避け他の旅館に同女等を誘い出したものと認められないことはない。右の観点からすると同被告人が自己の職務に関して被告人松元外四名から贈賄せられるとの認識の下に松井葉留子と性交したものとは断定することはできない。所論の証拠を参酌しても右の結論を覆すことはできない。

論旨第一の五(昭和二九年一一月八日附起訴状公訴事実中第一の(四)の点被告人松元外四名が共謀して被告人草野透に昭和二八年八月二七日頃贈賄した事実の誤認)について

所論は原判決は右事実につき被告人草野が松井葉留子(松元道生の使者)から西鹿児島駅でサントリーウイスキー角瓶一本等を贈られた際同被告人自身で受領しなかつた事実を認めて被告人草野に対しては無罪の言渡をしたが原判決の摘示した被告人草野の昭和二九年一一月二日附、松井葉留子の同年一〇月二三日附の各検察官に対する供述調書、横瀬大八の同年一一月一日附、伊集院一の同年一〇月二八日附各検察官に対する供述調書によると被告人草野がこれを受領した事実を認めることができるので原判決には右の事実誤認がある外被告人松元外四名に対して賄賂の申込のみを認定した原判決は事実を誤認したという。

そこで所論の各証拠及び当審証人横瀬大八、同松井葉留子の供述を綜合すると所論の昭和二八年八月二七日被告人草野が東京へ出張するに際し、西鹿児島駅に右横瀬大八、松井葉留子及び同被告人の妻等が見送りに来ていたものであるがその際松井葉留子は天洋建設株式会社々長松元道生の使者として被告人草野に贈るためサントリーウイスキー角瓶一本外肴若干を持参していたところ草野に対して右会社からの使者としての口上を述べ該贈物を差出したところ被告人草野は一旦これを受領したのであるが、その際同被告人の妻がこれを同被告人の手から取り上げて仕舞つたものであることが認められる。右のように被告人草野は一旦右供与の趣旨を諒承の上受領する意思を以つてこれを受取つたものであるからその後妻からこれを横取りされた(同人の妻は多分松井葉留子に対する嫉妬によりかような挙動にいでたものと推測せられる)としても、これを受領し自己の実力支配内に置くと同時に収賄の罪を構成するということができる。従つて原判決が被告人草野において之を受領したものでないとして、被告人松元外四名に対して単に賄賂の申込をしたに過ぎない旨認定したことは事実を誤認したものというべきであるが、元来刑法第一九八条の贈賄の罪は、賄賂を供与したもの、その申込をしたもの、約束をしたものと三段階に区別しているけれども、いずれも同一条下に同一の法定刑を以つて臨んでおるだけでなく、これと併合罪の関係にある同被告人等の他の犯罪の回数、体様に関する右の贈賄罪の比重を考慮すると右の誤認は判決に影響を及ぼすものとは認められないから破棄の理由とはならない。

論旨第一の六(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第一の二、ハの被告人松元外四名が共謀して昭和二八年九月一日頃被告人曽木隆輝に贈賄した事実についての誤認)について

所論は原判決は被告人曽木が右同日「まつもと」に来訪した事実を認めるに足る証拠がないとして無罪の言渡をしたが原判決が挙示した証拠によつても右事実は認め得られるから原判決は事実を誤認しているという。

よつて所論の証拠について検討すると証第一七号超過勤務控綴中船川二見の同年九月一日附欄には一七時―一九時三〇分加治木町長とあり証第五号自動車運転日報同年九月一日欄に松元―林田バス(九時―九時二〇分)とあり(船川二見、町田満里子、松井葉留子、松元道生の検察官に対する供述は右の証拠を基として為されたものであるから該証拠を外にしてはその信憑力は薄弱である)その間時間的なズレが存し証第一七号の記載内容は松井葉留子の検察官に対する供述によると必ずしも正確なものではなく従つて被告人曽木が右時刻は来訪したのか、或は来訪する予定であつたのかも確知し難いだけでなく被告人松元が来訪客に饗応した際女性の接待ないし情交をした記録を残すために作成せられた証第一六号工事出面表中の船川二見の外町田満里子、松井葉留子の欄にも当日来客を接待したことを意味する記載が存しない。なお原審及び当審証人萩原愛子の供述からみると若し当夜被告人が所論のような行動をとつたとすれば自治会館に宿泊したものと考えられるところ証第六二号自治会館宿泊名簿中同日欄に同被告人が宿泊した旨の記載がなく(六月二日、同月三日には宿泊の記載はあるが)これらの点を綜合すると同被告人が「まつもと」に来訪した事実については確証がなく従つて被告人松元等が同日同所において被告人曽木の職務に関して贈賄した事実についても確認するに足る証拠がないことに帰するから、論旨は理由がない。

論旨第一の七(昭和二九年一一月一一日附起訴状公訴事実中第一被告人松元外四名が共謀して昭和二八年六月九日頃被告人曽木に贈賄した事実の誤認)について

所論は原判決は右事実につき証第一六号工事出面表の記載証第五号の三運転日報の記載証第六二号宿泊者名簿その他関係人の供述によるもこれを認めるに足る証拠がないとしたが被告人曽木が同日「まつもと」を訪れ同人に対し被告人松元等が公訴事実記載の贈賄したことはこれを認め得るので原判決は事実を誤認したものであるという。

そこで記録に基いて検討すると証第一六号工事出面表の記載によると船川二見が来訪客の情交接待をしたことを示す二重丸の記載があり、証第五号の三運転日報によると同日午後九時二五分「まつもと」から被告人曽木の定宿である自治会館まで自動車で行つた者のあること及び船川二見の昭和二九年一一月五日附、町田満里子の同年一〇月一八日附各検察官に対する供述調書によると同被告人が当夜「まつもと」に来訪した事実があるのではないかと一応は推測し得られる。しかし右船川、町田等の供述は日時頃の点についてはいずれも前記証第一六号第五号の三の記載を基として為されているものであつて右第一六号第五号の三等によつては特に被告人曽木が右訪客であり該自動車の利用者であることは確認できないだけでなく、右町田、船川の供述中にも当夜の同人等の動静については時間的、地理的にそごする供給があるので全面的にこれを信用することは危険であり、それと証第六二号宿泊名簿には同日同被告人が自治会館に宿泊した事実が認められないので、以上の各点を綜合すると同日被告人曽木が被告人松元の招待を受けて「まつもと」を訪ねた事実について確信を生ずるに至らない。従つて同日同被告人等間に所論の贈収賄のあつた事実はこれを認むるに足る証拠がないことに帰着する。

論旨第一の八(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第一の3被告人松元外四名が共謀して昭和二八年六月一九日頃被告人四元幸男に贈賄した事実の誤認)について所論は論旨第一の一の被告人隈部正人に対する贈賄と同時に為された贈賄事実に関するものであるが同事実が証拠上確認できないことは同論旨につき説示したとおりであるからこれをここに引用する。

論旨第一の九(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第一の4被告人松元外四名が共謀して昭和二八年七月二四日被告人四元幸男に贈賄した事実についての誤認)について

所論は原判決は被告人四元に対する右の饗応等の接待は同被告人が建築課に変つたので会社にとつては利用価値はないが歓送迎会の名目上招待したに過ぎず将来便宜な取扱をして貰い度い趣旨で饗応したものとは断定できない。また従来の職務行為に対する謝礼の意味で饗応したとの被告人松元の公判廷における供述も措信し難いとして無罪の言渡をしたが右の事実は被告人松元、同大渡、同隈部の原審公判における公訴事実は相違ない旨の供述被告人草野の同公判における天洋建設の招待ではないかと気付いた旨の供述その他被告人四元、同隈部等の検察官に対する供述調書によりこれを認め得られるので原判決は事実を誤認したという。

昭和二八年七月二四日被告人四元幸男が被告人隈部、同草野等と共に「まつもと」に招待せられ饗応を受けたことは同被告人等も認めて争わないところである。そこで被告人松元が同日被告人四元を招待した経緯について記録を調査すると松元道生の検察官に対する昭和二九年一〇月六日附供述調書には土木部計画課々長補佐であつた四元が建築課々長補佐に転出しその後任に草野が決つたので同年七月二四日私方で歓送迎会を開いたそれが四元が来た最後である。建築課に変つてからは私の会社とは直接関係がなくなり招待しても得るところがないので招待することを止めた旨の供述があり同人の同年一一月一日附検察官に対する供述調書には四元と草野との歓送迎会は会社で発議した多分電話で四元に通じたと思う四元を呼んだ趣旨は歓送迎会の意味から言つても呼ばないのはおかしいし、四元から草野に旨く会社のことを取りなして貰い度いという趣旨からであつたと供述しておる。右供述の趣旨から考えると被告人松元が被告人四元の職務に関し将来便宜な取扱を受けたい趣旨で饗応接待したことは認められない。なお被告人四元の従来の職務行為に対する謝礼の意味で饗応したかどうかの点について被告人松元はこれを肯定する趣旨の供述をしているが従来の同人の検察官に対する供述中にはこれに類する供述の片鱗もなく殊に幸田宏の検察官に対する供述調書によると被告人松元は既に利用価値の無くなつたものに対しては一顧だにしない性格であることも窺知せられるのでこれらの点からすると同被告人の右公判における供述はそのままに信用することはできない。所論の証拠を考慮しても被告人松元が被告人四元の従来の職務行為に対する謝礼として右七月二四日に四元を招待饗応したと断定することはできない。この点に関する原判決の認定は相当である。

論旨第一の十(昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(1)に照応する被告人隈部正人が昭和二八年五月五日頃被告人松元道生外四名から収賄した事実の誤認)について

所論は後記論旨第一の二十一において述べるように被告人隈部正人が被告人松元道生外四名から自己の職務に関して贈賄せらるる事情を知りながらこれを収賄したことは証拠上これを認め得るにかかわらずこれを認められないとして無罪の言渡をしたことは事実を誤認したものであるというのである。

そこで記録について調査すると被告人隈部正人が同日頃「まつもと」で飲食したことは伊集院満里子の昭和二九年九月二二日附、同年一一月一日附、船川二見の同月一四日附、同月一五日附各検察官に対する供述調書、証第一六号工事出面表の記載により明らかである。そこで同被告人が同旅館で飲食するに至つた事情について調査すると、この点につき同被告人の検察官に対する供述調書によると(記録第三〇三四丁以下)地福県議が谷山の街路事業のことで打合せ度いから是非来てくれといつた課長補佐の四元主事を伴つて「まつもと」に行つたが話題は谷山町の街路拡幅についてであつた」と述べており、地福馨の検察官に対する昭和二九年一一月二日附供述調書でも谷山町の街路拡幅のことについて話が聞き度いからおいで下さいと申して案内した旨述べており「まつもと」における両者間の話題も右谷山街路に関することであつて天洋建設に関する話題の存しなかつた点とを綜合すると被告人隈部は天洋建設株式会社会長としての地福馨から呼ばれたものとの認識はなく寧ろ県会議員としての地福馨から呼ばれたものと考えて前掲「まつもと」に臨んだものと認めるのを相当とする。従つて同被告人が自己の職務に関して天洋建設株式会社会長地福馨から饗応を受けるものであるとの認識がなかつた旨認めた原判決は相当である。

論旨第一の十一(昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(2)に照応する被告人隈部正人が昭和二八年六月一九日被告人松元外四名から収賄した事実についての誤認)について

所論の事実については論旨第一の一について既述したとおりであり、これと表裏一体の関係をなす所論の事実についても同一の結論に到達せざるを得ないから該説示を引用する。

論旨第一の十二(昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(3)に照応する被告人隈部正人が被告人松元外四名から昭和二八年七月二四日収賄した事実についての誤認)について

所論は論旨第一の九において述べた事情により被告人松元等の招待に対して被告人隈部正人が自己の職務に関する饗応接待であることを知りながらこれを受けたに拘らず原判決が同被告人は四元、草野の歓送迎会として自弁による宴会であると考えていたので職務に関するものとの認識がなかつたとして無罪の言渡をしたのは誤認であるという。

所論に鑑み問題となるのは右饗応接待について被告人隈部にその職務に関して饗応接待を受ける旨の認識があつたかどうかの点である。よつて調査すると被告人松元等が該宴席を設けるに至つた経緯は論旨第一の九に対して説示したとおり被告人四元に対しては既に同人が利用価値のない建築課にかわつたので、その職務に関して饗応する考でなかつたものであるが被告人隈部は依然として計画課長の職に在り同被告人の職務に関して饗応する意思のあつたことは右説示に当り示した証拠により明らかである。然るにこれを受けた被告人隈部はどう考えていたかについて同被告人の供述は数次に亘り変化しているのであるが、検察官に対する昭和二九年一一月五日附供述調書には「計画課長補佐が交替した七月頃天洋建設の松元社長から電話で課長補佐の歓送迎会をしたいから一緒に来てくれと云つて来たので、丁度その頃課内幹部の歓送迎会を持ち度たいと考えていた際であつたから田中、四元、草野に招待のあつたことを云つて「まつもと」に行つた自分は松元が業者として御世話になるという意味で御馳走するものであると承知して行つた」旨の供述があり、同年一〇月三〇日附検察官に対する供述調書には「第一回目の招待は「まつもと」で地福県議から受けたその時女事務員が酒席でなれなれしくし、ベツドルームに迄案内したので役人を接待して何か為にする目的ではないかと感じた後口が悪くもう来る処ではないと思つた」旨の供述があり、右地福馨の招待は同年五月五日のことであるからその後の右七月二四日の招待に際して被告人隈部が前掲のように「御世話になるという意味で御馳走するものと思つた」との供述も真実を述べたものと認められる。原判決は右一〇月三〇日附供述調書において同被告人が「松元社長経営の旅館だから五・六百円の会費で飲めるんだろうと思つた」と供述している点から同被告人に対価支払の意思があり、従つて職務に関する認識がなかつた旨説示しているけれども、同被告人は同一の供述調書において「四元に会費に充てるために千余円渡したように記憶する」と述べているがそのことは虚構であつたと後日の供述(昭和二九年一一月五日附検察官に対する)により訂正しておる点からみて原判決挙示の会費に関する同被告人の供述は信用することはできない。

以上説明のとおり被告人隈部において右七月二四日の招待が自己の職務に関するものであることの認識があつたことは証拠上認め得るに拘らずこれを認められないとして無罪の言渡をした原判決は事実を誤認したものでありその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関する原判決は破棄を免れず論旨は理由がある。

論旨第一の十五(昭和二九年一一月八日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(三)に照応する被告人草野透が昭和二八年八月一〇日被告人松元外四名から収賄した事実についての誤認)について

所論については論旨第一の四に対する判断において示したとおり被告人草野が自己の職務に関して所論の性交をするに至つたものとは断じ難い。前同論旨に対する説示を引用する。

論旨第一の十六(昭和二九年一一月八日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(四)に照応する被告人草野透が昭和二八年八月二七日被告人松元外四名から収賄した事実についての誤認)について

所論については論旨第一の五に対する判断において示したとおりであるからこれを引用する。要するに被告人草野は所論のサントリーウイスキー角瓶一本と肴若干を自己の職務に関して贈られることを認識しながらこれを受領して収賄した事実はこれを認めることができる。従つて原判決はこの点につき事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから論旨は理由があり原判決中所論部分は破棄を免れない。

論旨第一の十七(昭和二九年一一月一日附起訴状の公訴事実中第二の一(第一の一に照応)被告人曽木が昭和二八年六月二日被告人松元外四名から収賄した事実の誤認)について

所論は原判決は被告人曽木が昭和二八年六月二日「まつもと」で饗応接待を受け船川二見と同衾した事実を認定しながら、それは同被告人が地福馨の個人的接待であると考えてこれを受けたものであつて自己の職務に関して供与されたものであるとの認識があつたとは断定できないとして無罪を言渡したが、右公訴事実は地福馨、町田満里子等の検察官に対する供述調書によりこれを認め得べく、大西栄蔵、秋丸光良、田中茂穂等の検察官に対する供述調書によるも右の饗応等が地福馨の個人的接待であると被告人曽木が考えていたとの弁解は認むるに足らない。右公訴事実は証拠上認め得られるのに無罪を言渡した原判決は事実誤認であるという。

それで記録について調査すると地福馨の検察官に対する(昭和二九年一〇月七日附、同一二日附、同月六日附)各供述調害松元道生の検察官に対する(昭和二九年一〇月四日附、同月六日附、同月一三日附二通、同月一六日附、同月二六日附、同月二九日附)各供述調書大渡義夫の検察官に対する(同年同月六日附、同月七日附、同月二八日附)各供述調書並に当審証人地福馨、同大渡義夫の供述を綜合すると被告人地福馨は被告人松元から予ねて加治木町が施行する水道工事の請負をしたいから同町長を紹介してくれと頼まれていたので自治会館で被告人曽木に面会した際「天洋建設という土建会社を設立して自分が会長になつたが社長が紹介してくれというから会つて貰い度い実は県会の話もあるから」と頼んだ結果昭和二八年六月二日(このことは証第一六号証第五号の三、証第六二号、証第六号の記載及び伊集院満里子、船川二見の検察官に対する供述調書により認め得る尤も証第六号業務日誌は天洋建設株式会社事務所に備付けてあつたものであるが大渡義夫の検察官に対する供述調書によるとそれは被告人曽木が「まつもと」を訪問したことを業務日誌に誤記したものと認められる)夕刻被告人曽木は「まつもと」を訪問し、同所において被告人地福馨、同大渡義夫から接待を受けたこと及び前記伊集院満里子、船川二見の供述調書とこれに副う記載の存する証第一六号によれば同被告人は同日同所において船川二見と同衾した事実を認めることができる。尤も左の各供述調書中区々たる点において不突合の存することが認められ、殊に地福馨の初めの供述においては松元社長を被告人曽木に紹介したとあるのにその後の供述ではその点が明瞭でなく、被告人松元の供述では同人が右宴席に出席した事実は認められずやや不明確な点は存するけれども、それだからと云つてこれらの供述の全部が虚構であるとは認められず、右供述を綜合すると少くとも前摘示の事実は優にこれを認めることができる。問題は被告人曽木においてその職務に関して饗応せられ婦女を提供せられたものであるとの認識があつたかどうかの点についてであるが、前掲地福馨の検察官に対する供述調書によると同人は被告人曽木に対してこん度天洋建設という土建会社を設立し自分がその会長となつたから招待するのであるとの趣旨を申述べて居り被告人曽木の検察官に対する供述調書によつても認められるように同被告人と地福馨とは公職上の単なる願見知り程度で私的交際も無かつた事情を併せ考えると、右の招待は同被告人の職務に関し土建会社幹部よりの顔つなぎのための接待であるとの認識をもつて同被告人がこれに応じたものであることは経験法則からも認め得られるところである。従つて同宴席上で加治木の水道工事のことをお願いするという話があつたかどうか(そのような話があつたことは前掲供述中に散見するが)ということは同被告人の職務に関する接待であるとの認識の存否についてはさして重要とは認められない。尤も地福馨が同被告人を招待するに際し「県会の話もあるから」と附加し該宴席上当時紛糾していた鹿児島県議会内常任委員長の振割の件も話題となり地福からその頃同県町村長会々長であつた同被告人によろしく頼むとの趣旨の話のあつたことも認められるけれどもその依頼と職務に関する接待とは別個の問題であり、これあるが為に同被告人の自己の職務に関する接待である旨の認識がなくなるということにはならない。右宴席に引き続き提供せられた船川二見との同衾についても右に説述したところと同じように考えるべきである。従つて右の点に関して原判決が被告人曽木が自己の職務に関して供与されるものであるという認識があつて判示御馳走を受け船川と同衾したと断ずることはできないと認定したのは事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

論旨の第一の十八(昭和二九年一一月一日附起訴状中公訴事実中第二の二の中第一の二、八に照応する被告人曽木が昭和二八年九月一日頃被告人松元外四名から収賄した事実についての誤認)について

所論については論旨第一の六について説示したところと表裏の関係にあるから同説示を引用する。結局被告人曽木が所論のように所論の日頃「まつもと」を訪問した事実は認められず、犯罪の証明がないこととなるので、論旨は理由がない。

論旨第一の十九(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第二の二の中第一の二、イ、ロ、ニに照応する被告人曽木が被告人松元外四名から昭和二八年六月一九日頃、同七月八日頃、 九月上旬頃の三回に収賄した事実についての誤認)について

所論は原判決は被告人曽木が昭和二八年六月一九日、同年七月八日、同年九月上旬「まつもと」を訪れたことを認めることはできるが、同被告人が主張する二回目、三回目の「まつもと」訪問が右公訴事実のいずれに該当するか或は公訴事実外のものであるかを確定できず更に同被告人は第二回目に「まつもと」に行つたとしても料金支払の意思があつたと認められるから、公訴事実は犯罪の証明がないというのであるが原判決は被告人松元外四名については右三個の公訴事実につき被告人曽木につき贈賄の事実を認めて有罪を言渡している。即ち表裏一体の事実につき、異る判断をしたのは明らかに矛盾しており、右被告人曽木に対する公訴事実も原判決の指摘した証第一六号証第五号その他関係人の検察官に対する供述調書等により優にこれを認めることができるから原判決は事実を誤認したという。そこで先づ被告人曽木が昭和二八年六月一九日「まつもと」を訪問したことがあるかどうかについて検討する。証第五号の三運転日報(昭和二八年六月分)によると同年六月一九日松元旅―天文館ソギ様七時三二分―七時五五分と記載せられ、証第六二号によると同夜同被告人は自治会館に宿泊した事実も認められるし、これと船川二見の検察官に対する(昭和二九年一〇月一五日附、同年一一月五日附)供述調書、伊集院満里子の検察官に対する(昭和二九年一〇月一八日附)供述調書を綜合すると、同被告人は同日「まつもと」で被告人松元等から御馳走の接待を受けたことを認めることができる。

次に昭和二八年七月八日の点について調査すると証第一七号超過勤務控綴中町田(伊集院)満里子の欄と船川二見の各同年七月八日欄に明らかに加治木町長来訪とあり証第六二号宿泊名簿にも同夜同被告人が自治会館に宿泊したことが認められ前記船川二見、伊集院満里子の各検察官に対する供述調書と証第一六号工事出面表の記載とを綜合すると被告人曽木は右同日「まつもと」を訪れて松元等から御馳走の接待を受け且船川二見と同衾した事実を認めることができる。

更に同年九月上旬の点について検討すると地福光子の検察官に対する昭和二九年一〇月一九日附供述調書によると昭和二八年九月上旬頃被告人曽木が被告人松元の招待により「まつもと」に来て酒食の饗応を受けた後地福光子と情交したことが認められ、被告人曽木の昭和二九年一〇月二〇日附、同月二二日附の各検察官に対する供述調書中いずれも右地福光子の供述に照応する供述があり、同九月上旬頃同被告人が松元等の招待を受け酒食の御馳走になり地福光子と情交したことを認めることができる。

而して被告人曽木においてそれが自己の職務に関する饗応等であることを認識していたかどうかの点について検討すると、同被告人の昭和二九年一〇月二〇日附検察官に対する供述調書によると(第一回目に被告人地福馨に招待せられたものであり、職務に関する認識の有つたことについては論旨第一の一七について説示したとおりである)第二回目の招待は多分伊集院満里子からであつたと思うが「天洋建設であるが来てくれ」と電話で招待され、第三回目には役場に天洋建設か端書が来て招待せられ、その間にも何回となく伊集院満里子から電話で「まつもと」に来てくれと云つたので行つた旨の供述があり該饗応が松元建設からの招待により為されるものであることは被告人曽木もこれを認識して応諾したものであることが窺われる。そして該宴席には被告人大渡義夫等が出席して飲食を共にしたことも同調書により認められるし、これと大渡義夫の検察官に対する(昭和二九年一〇月六日附、同月七日附、同月二八日附)各供述調書中に第二回以降の該宴席においても加治木の水道工事、道路舗装工事等の話題が出て大渡等よりよろしくお願いする趣旨の話があつた事実も認め得られるので以上の諸事実と第一回目(昭和二八年六月二日)の饗応接待の経緯並に当審証人松元道生、同大渡義夫の供述とを併せ考えると当時被告人曽木において自己の職務に関して饗応接待を受けるものであるとの認識があつたと認めるのを相当とする。なお原判決は同被告人が料金支払の意思を表明した事実があり、このことより饗応を受ける意思のなかつたことを推知し得ると判示しているので、この点について調査すると原審証人岩山ムメ(当時のまつもとの仲居)は「曽木から勘定してくれと云われたことが一回ある自動車が来ていて汽車の時間に間に合わんから急いでくれといわれたが、この次でいいですよと断つた。その時酌に出た女中はリヨウ子と木佐貫笑子であつた曽木が勘定してくれと云つたのは一回だけでその後来て前の勘定をしてくれと云つたことはない。勘定してくれと云われたのはこちらから案内しなくて向うから来られた時であつたと思う。それは曽木から一人でくるから部屋をとつておいてくれと電話があつたので案内なしで来たものと思うその時には会社の人は出ていなかつたその時以外曽木が来た時には会社の人が出ていたように思う」旨の供述があり、被告人曽木が岩山ムメに対して勘定の話をしたのは被告人松元等から饗応接待を受けた以外の飲食についてではないかとも推測せられ、同証人の供述によると右の一回以外には同被告人から勘定の話があつたことは一回もなくその後同被告人が前示饗応接待を受けたことに対し何等支払の意思を表明した事跡もなく、且現実にその支払もしていない点を綜合すると前記岩山ムメに対して勘定を請求したことのあることを捉えて同被告人に右三回に亘る饗応接待につき対価を支払う意思があり、従つて自己の職務に関して饗応接待を受ける旨の認識がなかつたものであるとの資料とするのは当を得たものではない。同被告人が昭和二八年六月一九日、同年七月八日、同年九月上旬の三回に亘り、被告人松元外四名から「まつもと」において饗応を受け、且婦女と同衾し或は性交したことは同被告人の職務に関して為されたものと認めるのを相当とする。この点に関する原判決の認定は事実誤認でありその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

論旨第一の二十(昭和二九年一一月一一日附起訴状公訴事実中第二の被告人曽木が昭和二八年六月九日頃被告人松元外四名から収賄した事実についての誤認)について

所論については論旨第一の七について説示したところと表裏を為すものであり、所論の事実は認められないことはその論旨につき該説示したとおりであるからこれを引用する。

論旨第一の二十一(昭和二九年一一月一日附起訴状事実中第二の中第一の1に照応する被告人四元幸男が昭和二八年五月五日頃被告人松元外四名から収賄した事実の誤認)について

所論は原判決は被告人四元幸男が昭和二八年五月五日頃被告人松元外四名から饗応を受けたことにつきその職務に関し饗応せられるものと認識していたことを確認する証拠はないとして無罪の言渡をしたが原判決が理由とした同被告人が課長補佐となつた祝の意味で地福等が一席設けたいという旨を伝えて案内したと認められる証拠は存しない。その席上隈部に対して地福が四元を引立ててくれと述べたことも証拠上薄弱である。被告人四元が船川に金千円をやつたことはあるがそれは単なるチツプに過ぎない。却つて松元道生、地福馨の検察官に対する供述調書によれば被告人四元はその職務に関する饗応であることを知り乍らこれを受けたことが認められるので原判決は右事実につき誤認があるというのである。

そこで記録について検討すると被告人四元が所論の昭和二八年五月五日旅館「まつもと」に行つたことは原判決も認めているとおりであるが同被告人が「まつもと」に行つた経緯は同被告人と同行した被告人隈部正人の関係と同様でありこれに対する当裁判所の判断は論旨第一の十について説示したとおりであるからこれを引用する。即ち県会議員たる被告人地福馨から「谷山の街路事業のことで打合せたいから」ということであつたことは同説明において示したとおりである。然るに被告人四元はこの点について「地福県議が役所に来てこんど天洋建設ができて自分が同会社の会長になつたから挨拶の意味で一杯差上げ度い仕事には関係なく個人的な意味だからというので同人とは同じ県庁の職員として付き合つた事もあり良く知つていたので隈部と一緒に行つた」(検察官に対する昭和二九年一一月一〇日附供述調書)と述べており谷山街道事業打合せの点については何等触れるところがない。然るに地福馨は「当日両名を招いたのは谷山町防災道路工事施行の要望が町民からありその要望を伝えるためと自分が天洋建設の会長に就任した挨拶を兼ねて二人を呼んだ」旨なお被告人四元とは自分が約十年間県庁に勤めていた当時の友人であると述べ招待の目的の一部にくいちがいがある。しかしこの点につき被告人隈部は「谷山町の街路事業の打合せのための一席」であると思い四元主事を伴つて出席したと述べ、席上該街路事業が話題となつたことも論旨第一の十において説示したとおりであるから被告人四元としても被告人隈部から右出席の理由を事前に聞かされていたものではないかとも推測せられるし、前掲被告人四元の供述からも同被告人が自己の職務に関して被告人地福の関係する天洋建設株式会社の事業上便宜な取扱いをお願いするという趣旨で招待せられるものであると認識して出席したと認むべき確証は存しない。なおそのことは同被告人の「私はそのように女まで抱かせるので会社の側で何か魂胆があつてその様なサービスをするのだろうと感づいたが当時吉松から通勤しており既に終列車もなかつたので帰る訳にも行かず」と述べている点からも出席当時は該止応は自己の職務に関して為されるものであるとは知らなかつたが宴が果てて後床に這入つてから初めてこれを感づいたものと認められるので同被告人に初めから収賄の意思があつた旨の所論には賛成しない。

論旨第一の二十二(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第二の中第一の2に照応する被告人四元が昭和二八年六月一三日頃被告人松元外四名から収賄した事実の誤認)について

所論は原判決は被告人四元が昭和二八年六月一三日頃旅館「まつもと」に行つた事実を認めた上同被告人の検察官に対する「仲居に対して同日の勘定は支払うと云つた酒肴は出なかつた昭和二八年七月頃現金五千円を天洋建設の事務所に持参して松元に渡してくれるよう頼んだ」旨の供述により同供述どおりの事実がある点から同被告人に対価を支払う意思があり職務に関して収受する意思があつたものとは認められないと説示したが、しかし右の金五千円を托したのは昭和二八年七月頃ではなく同年秋以降ではなかつたかと推測されるし計算の内容も明らかでないから飲食費宿泊費として支払われたものとは解せられない。寧ろ小城直哉の検察官に対する供述書によると被告人四元は県庁職員が「まつもと」に出入する旨の風評を聞き後日責任を問われないよう慌てて該金員を交付しようとしたものと認められるなお同被告人が仲居に勘定を命じたとの主張は仲居岩山ムメの原審における供述によるも認められない。要するに原判決は被告人四元の弁解を過信し経験則に反して事実認定を誤つたものであるというのである。

そこで検討すると所論の昭和二八年六月一三日被告人四元が「まつもと」に行つたこと及び船川二見と同衾したことは同被告人も認めるところである。ところで同被告人が同夜同所に行つた際の状況について調査すると同被告人の昭和二九年一〇月二一日附検察官に対する供述調書によると「この日は何処で飲んだか忘れたが酔つて夜遅く松元旅館に行つたこの日は行つた時肥つた仲居に今日は勘定を払うからと云つたと記憶する。この日は酒肴は出なかつたように思う翌朝目をさましたら船川二見、私と同衾した旨云つたその時情交したのではないかと危惧する。旅館が金を取らなかつたので払わなかつた」旨、なお「自分はまつもと旅館に招かれたのは個人的な問題であると解釈している従つて金は当然払うべきであると考え同年七月末即ち建築課に替つてから間なしに五千円封筒に入れて天洋の事務所に行き松元社長に渡してくれと云つて町田という女事務員に手交した会社側が計算してくれないのでこれ位だろうと見当をつけて渡した」旨供述しており右金五千円を交付した点については原審証人伊集院満里子の供述、被告人大渡義夫の原審における供述によつてもこれを認め得る。これらの供述によつて認められることは被告人四元は右金五千円は旅館「まつもと」における飲食費等として支払う意思で交付したものであること、及び前記六月一三日夜同被告人が仲居に対して今夜勘定は支払うからと申述べたことも真意を述べたものであつて当時対価を支払う意思の存したこと、従つて自己の職務に関して贈られるものを収受する考えで所論の所為に出でたものとは認められないこと、である。記録上右認定を覆し同被告人に該収賄の意思があつたと認むるに足る証拠はない。原判決のこの点に関する認定は相当である。

論旨第一の二十三(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中被告人四元が昭和二八年六月一九日頃被告人松元外四名から収賄した事実の誤認)について

所論については論旨第一の一、第一の八について説明したとおりであるからこれを引用する証拠上所論の事実を認めることはできない。論旨第一の二四(昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中被告人四元が昭和二八年七月二四日被告人松元外四名から収賄した事実の誤認)について

所論については論旨第一の九において説明したとおり被告人松元等において被告人四元の職務に関して贈賄する意思があつたことは証拠上認められないので、贈賄者に贈賄の意思が認められない以上、被告人四元に関しても収賄の事実を認めることはできない。原判決の認定は相当である。

以上説明のとおり論旨第一の十二、同十六同十七、同十九は理由があるので、原判決中被告人草野透、同隈部正人、同曽木隆輝に対する右関係無罪部分は破棄を免れない。

同論旨第二(量刑不当)について

所論は被告人大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同草野透、同隈部正人に対する量刑は軽きに失するというのである。

そこで先ず被告人大渡、同地福尚哉、同幸田に関する各贈賄の点について按ずるに原判決も認めているように本件贈賄手段の発案者は被告人松元道生であり、その実施も主として同被告人が主宰しており、同被告人が居なければ本件贈収賄事件は起らなかつた(上妻事件は別として)のではないかとまで考えられる。右の事情の下で被告人大渡、同地福尚哉、同幸田は同会社の構成員として被告人松元の発案に同意しその指示に基いて行動したものと認められその果した役割の重要度は右松元被告人に比べ遙かに低いといわなければならない。

次に公正証書原本不実記載、同行使についても前記のように同会社の設立発起は被告人松元、同地福馨であつて、その資金獲得(設立登記のために必要な株金払込のあつたことを仮装するための見せ金)についても被告人松元の要望により被告人地福馨が動いたに過ぎず、被告人幸田、同尚哉はただ該登記関係書類に名を連ねたに過ぎない事情に在る。

右に述べたような事情の下において原判決が被告人松元に懲役二年の実刑を以つて臨んでいる以上、更に被告人大渡、同幸田、同地福尚哉にも実刑を科さなければならないものとは考えられない。被告人大渡には他に暴行罪があるがそれは右贈収賄の過程に発生した案件であつてさして強度のものとは認められず実刑を以つて臨むべき程のものとも認められない。

これと同一の見解の下に原判決が被告人大渡、同幸田、同地福尚哉に対して刑の執行を猶予したことが科刑不当に軽いものとは認められない。

次に被告人草野透については論旨第一の十六において、被告人隈部については論旨第一の十二において説示したとおり同被告人等に関する原判決には事実誤認がありこれを破棄することとなるので所論の量刑不当の論旨については判断を省略する。

次に弁護人の各控訴趣意について次のとおり判断する。

弁護人松村鉄男の被告人松元道生に関する論旨について。

論旨第一、(事実誤認に)ついて

所論は原判決は判示第一の五において被告人松元に関する公正証書原本不実記載の事実を認定したが判示の経過に基いたとするも一旦会社の設立登記が為された上は商法第四二八条所定の設立無効の裁判が為されない間は会社は存立するから本件会社の設立の登記は不実の記載とはならないというのであるが、原判決が判示第一の五の事実認定の為め挙示した証拠によると、同被告人は、相被告人地福尚哉外二名と共謀の上天洋建設株式会立の設立に関して、現実に株金の払込がないのにあつたように仮装し、創立総会を開いたこともなく、同総会で取締役等を選任したことがないのに拘らず、これを開いて同被告人外五名を取締役に中尾浅逸を監査役に選任したこととし、その旨の書面を作成して原判示の経過により鹿児島地方法務局係員をして登記簿の原本に原判示の通りの天洋建設株式会社に関する不実の記載を為さしめたことを認めることができる。しかしてかような場合には刑法第五七条第一項を適用すべきものと解せられるので(昭和七年四月二一日大審院判例集一一巻三四九頁参照)商法所定の設立無効の裁判が為されると否とは同条項の罪の成否に消長を来すものではなく、論旨は理由がない。

同第二(事実誤認)について

所論は原判決は判示第一の二において被告人松元に関し地福光子に対する監禁の事実を認定しているが、同被告人は使用人たる同女に客の取扱いにつき注意を与えるのに際し、これを他人から見られることを同女の為め気の毒に思い判示三畳の間の施錠をしたに過ぎない。敢て同女を監禁する意図を有したものではない。この点に関する地福光子の原審公判における供述、同人の検察官に対する各供述調書は同被告人の原審公判における供述、検察官司法警察員に対する供述調書と対照すると措信するに足らず同判示事実は認めることができないというので証拠について検討すると原判決が判示第一の二の事実の証拠として示した地福光子の検察官に対する昭和二九年九月七日附、同月八日附供述調書はその内容と松井葉留子の検察官に対する昭和二九年九月一一日附供述調書、野田郁子の検察官に対する供述調書、検察官作成の検証調書とを対比し綜合すると優に措信することができ、右供述調書、松井葉留子と前記供述調書その他原判決挙示(判示第一の二関係)証拠によると判示監禁の事実はこれを認めるに十分である。論旨は理由がない。

第三(事実誤認)について

所論は被告人松元に関する原判示第一の三の贈賄の点は大体においてこれを認めるが相被告人横山肇に関する部分は同人の妻が精神病で家庭的に不遇であつたためこれに同情して女を奉仕させたに過ぎず職務上の関係はない。又相被告人四元幸男、同曽木隆輝に関する原判決は同人等に対し証拠不十分として無罪の判決があつたのであるから被告人松元等の賄賂の供与も同様に無罪の言渡を為すべきであるというので証拠について検討すると、なるほど相被告人横山肇が家庭的に不遇であつた事実は認められないことはないが原判決挙示の証拠(判示第一の三に関する)によると被告人松元が相被告人横山と私交の存した事実は認められず同被告人が当時鹿児島土木出張所長で被告人松元は土木請負業を営む会社の社長として職務上深い関連があり前掲証拠によると被告人松元が被告人横山に饗応等をした経過体様等は爾余の同様の職務関係を有する兼元清隆、草野透、隈部正人、大井兼次等に対して為された場合と何等異ることなくしかもその回数において短日月の間において十二回にも及び且挙示の証拠によると贈賄の意思の存したことも優にこれを認めることができる。所論後段につき相被告人四元、同曽木が原審において無罪の判決言渡を受けたことは所論のとおりであるが元来刑法第九七条の収賄罪は賄賂の「約束」「収受」「要求」と各段階的に成立することとなつており、これに対し同法第一九八条の贈賄の罪は「約束」「供与」「申込」と前示段階に対応して成立するのであるから、たとえば賄賂提供者においてその意思を以つて提供したとしても、相手方において犯意が認められない等の場合には相手方は処罰の対象とはならず単に賄賂提供のみ処罰せられ得ることは当然であつて所論の点につき原判決が被告人松元等に対して「供与罪」を以つて臨んだことは当を得ないけれども、相手方が無罪であるとの理由を以つて、被告人松元等も当然無罪たるべきものとする論旨には賛同することはできない。

弁護人杉尾利雄の被告人松元道生に関する論旨(昭和三二年五月一九日附)について所論は被告人松元に関する原判示第一の二地福光子に対する監禁の事実、判示第一の三、四元幸男、曽木隆輝に対する贈賄の事実、判示第一の五の公正証書原本不実記載、同行使の事実についての松村弁護人の論旨と同様であるが、これに対する当裁判所の判断は松村弁護人の論旨につき説示したところと同じであるから、これを引用する。論旨は理由がない。

松村弁護人の論旨第四、杉尾弁護人の昭和三二年五月二〇日附論旨はいずれも原判決の被告人松元に関する量刑不当を論ずるものである。

そこで検討すると本件の発端は被告人松元が妻鶴枝名義で割烹旅館「まつもと」を経営しその営業方法として売春の経験のない婦女を勧誘して同旅館で遊客と情交させることにより部屋代等の利益を挙げることに初まり右の淫行勧誘についてはその手段として繁華街の喫茶店で男子高校生を通じてその女友達の紹介を受け、更にそれからそれへと順次友人に紹介させて女子学生を獲得し、利を以て無垢の女子を誘惑しその被害を受けた者女子学生を含め会社事務員等十数名(本件において認定せられた者十名)に及び更に同被告人が天洋建設株式会社を創立するに及びその業務に関係のある公務員の職務に関して婦女を賄賂の対象として提供することにより会社業務上の利益を図ることを企図して原判示贈賄罪に発展したものであり、その間年少の婦女の犠牲において利益を収め、多数の公務員をして汚職するに至らしめたものであり、これらの罪責とその余の原判決認定の同被告人に関する判示事実とを綜合すると原判決の被告人に対する刑の量定は相当である。論旨は採用することはできない。

弁護人浜田虎熊の被告人地福馨、同大渡義夫に関する論旨について、論旨第一点(事実誤認)について

所論は原判決は判示第一の三において被告人地福馨、同大渡が相被告人松元等と共に天洋建設株式会社の経営方針として関係各官公庁の係官に対して酒色を提供して賄賂を供与することを共謀した旨認定したが、被告人地福馨、同大渡は右事実につき共謀した事実はない。即ち原判決が一方においては会社が設立したことのない事実を認定しながら(公正証書原本不実記載の点につき設立総会も取締役も株金の払込もなかつたことを判示した)他方において同会社の存在を肯定したことはそれ自体理由のくいちがいがある。同会社は原判決も認めたようにその存在はないのでその運営について何等の話合もなく会合も行われていない。被告人大渡はいわゆる会社の発足後に参加したものでその運営協議には参加していない。このことは取締役に名を連ねた竹迫信男、馬場信男、地福尚哉、地福馨の各検察官に対する供述調書により明らかである。ただ松元道生の検察官に対する昭和二九年九月二七日附供述調書、第八回公判調書、幸田宏の検察官に対する同年一〇月一日附供述調書によると被告人地福馨、同大渡が社長松元道生の前記会社の経営方針に賛同したかに見えるが、右の供述は押収の証第一五号証、第二四号二五号の存在、原審第六回公判における竹迫証人の供述、同第一〇回公判における幸田宏、同地福尚哉の供述その他と対比すると措信すべきものではない。従つて被告人地福馨同大渡に判示共謀の事実を認めたのは事実誤認であるという。

そこで記録について検討すると原判決が所論の判示事実認定の証拠として示した幸田宏の検察官に対する昭和二九年一〇月一日附供述調書によると「昨年(昭和二七年)四月二四・五日頃会社の応接室で松元が天洋は新規会社だから猛運動しなければ良い工事はとれないそれで女事務員に渉外をやらせ招待客と情交して貰うようにし度いと云つた極端な方法だと思つたが、会社のためになる事なので反対はせずに了承したその時に居て右の話を了承した会社の幹部は竹迫、地福馨、同尚哉、大渡の内二三名であつた」と述べている。尤も同供述によると被告人大渡は当時未だ「制海」に籍があつたので必要な時にだけ天洋に顔を出し天洋の常勤になつたのは同年五月一〇日前後である。四月二四・五日頃には松元が天洋の社長、大渡が副社長、地福馨が会長、幸田と地福尚哉が常務と役割が決定していたと述べている。更に原判決が同事実の証拠とした地福尚哉の検察官に対する昭和二九年九月二二日供述調書によると「多分五月初めであつたと思う天洋建設の事務所で社長松元、副社長大渡、幸田常務、私と幹部が集つた席上松元社長が天洋は新会社だから良い工事を見つけるについては県等の役人を招待してサービスをし酒や女の接待をしなければならない。それには旅館まつもとを利用する女事務員を採用してその情交等の接待に当らせるという意味のことを云つた。私達幹部はその提案に賛成した」旨供述しており、更に同証拠の内伊集院満里子の検察官に対する昭和二九年九月一一日附供述調書によると「五月末か六月初頃女事務員四名を応接室に呼んで社長、地福会長、大渡副社長、幸田常務立会で社長が月給の外渉外手当として五千円宛支給するがそれで良いかと云つた渉外手当というのは社長の命で会社の客の夜の相手をし性交する事に対する手当の趣旨である。その事は五月末頃には既に松井が社長の命で「まつもと」で鹿児島土木出張所長横山と関係し手当の事は後で考えると社長からいわれていたので皆知つていたので承諾した」との供述があり、これらの供述と原判決の判示第一の三に関する挙示証拠とを綜合すると同判示の官公序の係官等に酒色を供与して贈賄することについては被告人地福馨、同大渡義夫も共謀のあつた事実はこれを認めることができる。なお所論は原判決は一方において会社が設立せられていないのに他方において会社の存在を認めたことはそれ自体矛盾しているというけれども原判決はただ会社設立の過程における公正証書原本不実記載、同行使の事実を認めたに過ぎず、所論の天洋建設株式会社設立の有効、無効については何等触るるところがなく判示にくいちがいの存する点はない。論旨は理由がない。

同第二点(採証法則違反理由のくいちがい)について

所論は原判決は被告人隈部に関する(1)の(イ)(ロ)被告人草野に関する(1)の(ハ)被告人曽木に関する事実全部、被告人四元に関する事実全部につき無罪を言渡しながらこれに対して贈賄者に対してのみ有罪の言渡をしたのは同一証拠により相異る事実を認定した採証法則の違反ないし理由のくいちがいがあるというけれども原判決が所論の被告人に対して無罪を言渡したのは(一)公訴事実に該当する同被告人等の外形的行為が証拠上認められないとする理由と(二)外形的行為は認められるが収賄についての認識があつたと認むべき証拠がないとの理由に区別せられるが、右(一)の場合には贈賄者側も共に無罪とせられ、(二)の場合には贈賄者側には賄賂を提供したものとして有罪の言渡が為されたものであることは判示自体によつて明らかである。そして右(二)の場合には贈賄者が賄賂の提供者として処罰の対象となり得ることは松村弁護人の同じ論旨について説示したとおりであるから、それをここに引用する。論旨は理由がない。

同第三点(訴訟手続の法令違反)について

所論は原判決は、被告人地福馨に関する判示事実につき昭和二九年九月一四日附松元道生の検察官に対する供述調書、同年同月一七日附同人の検察官に対する供述調書、同年同月一八日附大渡義夫の検察官に対する供述調書、同年同月一四日附松井葉留子の検察官に対する供述調書、同年同月二六日附同人の検察官に対する供述調書、同年一〇月二二日附松元道生の検察官に対する供述調書を証拠として挙示しているが、右書面は原審第二回公判において被告人地福馨の関係につき同意しなかつたものであるからこれを事実認定の証拠とした原判決には訴訟手続に法令の違反があるというのであるが原判決挙示の松元道生、大渡義夫、松井葉留子の各検察官に対する供述調書等所論の各証拠書類は被告人地福馨の関係において或は原審第二回公判において弁護人の同意を得或は原審第一二回公判においてこ事訴訟法第三二一条第一項第二号の書面として適法に証拠調が為されていることは同調書の記載により明らかであるから、これを事実認定の証拠とした原審の措置に訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

同論旨第四点(事実誤認)について

所論は原判決は被告人地福馨につき判示第一の五において公正証書原本不実記載、同行使の事実を認めたが同被告人は天洋建設株式会社の設立登記には何等関与していないから該事実について同被告人を有罪とした原判決は事実誤認であるというので調査すると原判決が同事実認定の証拠として示した同被告人の昭和二九年一〇月八日附検察官に対する供述調書によると同被告人は天洋建設株式会社につき株主総会もなく株金の払込もないことを知り乍ら、その設立登記をするについて株金の払込があつたことを仮装する為め被告人松元の依頼を受け鹿児島県信用漁業協同組合連合会から金三百万円を借受けこれをいわゆる「見せ金」として同会社の設立登記を為すにつき加工したことが認められる。従つて右の事実について被告人松元と共謀した事実が認められる以上被告人地福馨が設立登記の具体的手続行為に関与していないとしてもその刑責を免れるものではないから、論旨は理由がない。

同第五点(事実誤認)について

所論は原判決は判示第一の六において被告人地福馨の背任の事実を認定したが、同被告人は谷山信用漁業組合長として県信用漁業協同組合連合会から借受けたものでこのことは右連合会の定款上何等の支障もなく同被告人は規定通り利息を支払い且借入金も返済しているので背任罪を構成しないというのであるが、原判決が認定した事実は谷山信用漁業組合長としての資格に於ける被告人地福馨に所論の金員を貸付けたものではなく、同被告人が代表取締役会長となるべき天洋建設株式会社の設立登記申請に必要な株金払込を仮装するために必要な金三百万円を貸付けて貰い度いとの交渉を受けて貸借が成立したものであるというのであつて原判決の右判示事実は該事実認定のために挙示した証拠により優にこれを認めることができる。所論は原判決の採用しない証拠により独自の見解を樹てた結果事実を曲解するものである。原判決の認めたその余の事実とその証拠との間にも何等間然するところはなく、事実誤認は認められないから、論旨は理由がない。

同第六点(事実誤認)について

所論は原判決は判示第一の四において被告人大渡の暴行の事実を認定したがこの程度のことは犯罪を構成する程のものでないというに在るが原判決が該事実の証拠として示した検察官に対する船川二見(昭和二九年一一月四日附)松井葉留子(同年九月二五日附)の各供述調書によると同被告人は同判示のとおり船川二見の顔面を平手で数回に亘り殴打したことが認められ右は船川二見の身体に対する不法の攻撃であることはいうまでもない。原判決が暴行罪の成立を認めたのは当然である。論旨は理由がない。

同第七点(量刑不当)について

よつて、記録について調査すると被告人地福馨は鹿児島県議会議員たる地位に在つたものであるが、本件天洋建設株式会社の発起、設立についても被告人松元道生と共に主要な役割を演じ、その取締役会長となり被告人松元が発案した業務関係係官に対して酒色を供して贈賄するについても賛同して多数の官公吏を汚職に導いた責任はその公職(県議会議員)に在る者の立場としても責任重大というべくまた同会社設立に伴う公正証書原本不実記載、株金払込を仮装するための手段(背任)等にも重要な役割を演じており、本件における天洋建設株式会社の設立、贈賄関係については被告人松元に次いで中枢的な人物であるが飜つて同被告人が本件に介入した経緯を考えると被告人松元から県会議員の現職であるという立場を巧妙に利用せられて引き入れられたとしても認められるし、業務関係係官に酒色を供して贈賄することについては、単に基本方針に賛同したに止まり殊に女色提供の具体的行為はすべて被告人松元が行つており被告人地福馨は松元の右会社の事業獲得のための手段に対しては後日に至つて寧ろ反撥を感じて松元と袂を分ち会社経営からも遠ざかつており、贈賄の具体的行為に関しても被告人曽木、同隈部等を「まつもと」に案内したに止まる。右のように会社設立、その営業方針の発案指導等は主として松元が実施しているのであるから被告人地福馨に対しては必ずしも実刑を以つて臨まなければならない情状に在るものとは認められない。以上の諸点及び記録上認められるその余の情状を綜合すると同被告人に対しては相当期間刑の執行を猶予するを相当とする。従つて同被告人に関する論旨部分は理由があり、原判決中同被告人に関する部分は破棄を免れない。

被告人大渡義夫の同事件における加工の程度その他諸般の情状を綜合すると同被告人に対する量刑は相当である。論旨は理由がない。

被告人草野に関する論旨部分については同弁護人の同被告人に関する論旨について説示するからここには省略する。

弁護人大園若雄の被告人隈部正人に関する論旨について

所論は

(1)原判決は判示第一の三の(三)(2)において被告人隈部が相被告人松元等から昭和二八年八月二八日頃西鹿児島駅でサントリーウイスキー角瓶一本肴若干(一二〇〇円見当)をその職務に関し収賄した旨認定したが、被告人隈部は元来酒類を好まず駅頭において贈られるものの受領を拒否するの非礼を敢えてすることができずこれを受取つたものであり、これは一般に慣行されている風習の餞別として儀礼的に受けたものであるから、これを賄賂として認定した原判決は事実を誤認したものであるという。

そこで記録について調査すると被告人隈部と相被告人松元の職務関係が原判示のとおりであることは原判決右認定関係の挙示証拠により明らかである。そして右の証拠によると被告人隈部は相被告人松元の経営する割烹旅館「まつもと」で右ウイスキー受領に先だつ昭和二八年五月五日頃と、同年七月二日頃の二回に亘り松元から各五百円見当の接待を受けているのであるが右の第一回の接待において同被告人は右の酒席中女事務員がベツドルームに案内する等変だ何か為にせんとして役人を接待するのではないかと考え後口が悪くもう来る所ではないと思つた。と述べ(同被告人の検察官に対する昭和二九年一〇月三〇日附供述調書)相被告人松元よりする贈賄性の濃厚なことを感知しているのであり(第二回目の接待について当審において有罪の認定をすることは検察官の論旨第一の十二に説示したとおりである)右の供述とその余の挙示証拠を綜合すると被告人隈部は右ウイスキーの贈与がその職務に関して為されるものであることの情を知りつつ受領したものと認めざるを得ない。所論はこれは慣行による儀礼的な贈物にすぎないというけれども、右の贈物は被告人隈部が東京へ職務上出張するに際して贈られたものでありこれが転任その他長途の旅行出発に際して贈られたというのであれば格別(尤もこれとてもその限度のあることはいうまでもない)度々出張旅行の機会のある県庁の部課長に対して殊更に贈物すること自体が不自然であり殊に右被告人両名間には特に私交のある訳でもなくまた持参者が被告人松元の使用人で曽つて被告人隈部に対して酒席において特別接待に従事した町田満里子であつた事情と、被告人隈部が右贈物が自己の職務に関して為されたものであることを感知していた旨の供述(昭和二九年一一月八日附検察官に対する供述調書)とを綜合すると右の贈与が社会上の儀礼に過ぎなかつた旨の所論は採用することはできない。

(2)原判決は判示第一の三の(三)(2)において被告人隈部が昭和二八年九月九日相被告人松元等からその職務に関し金五百円相当の饗応を受けた旨認定したが右挙示証拠によつては被告人隈部がその職務に関して為される情を知り乍ら饗応を受けたことは認むるに足らないというけれども、同被告人が被告人松元よりする饗応接待が自己の職務に関して為されるものではないかということは既に同年五月五日に接待を受けた際感知したことは既に前に説明したとおりであり、その後更に同年七月二四日その職務に関して饗応を受けたこと及び同年八月二八日同趣旨のサントリーウイスキー角瓶一本の贈与を受けたこともまた前説示のとおりであつて、その後更に所論の饗応を受けたものであり職務に関する饗応ではないとの特段の事情の認められない限り被告人が職務に関する旨の供述をしていないとしても前記同被告人に関する贈収の経緯を綜合して該饗応が職務に関して為されたものでこの点に関する同被告人の知情をも認定することができるというべきである。原判決が判示饗応の事実を職務に関するものとして挙示の証拠により認めたのは相当である。論旨は理由がない。

弁護人浜田虎熊の被告人草野透に関する論旨について、

論旨第一点(事実誤認)は昭和二八年七月二四日被告人草野が「まつもと」で飲食したのは同被告人と被告人四元の課長補佐の交替に際しての歓送迎会に過ぎない。被告人草野はその際のお客であり且「まつもと」は当夜初めて行つた。被告人草野が同夜職務に関して収賄したと認むべき証拠はない。被告人四元、同隈部につき同一事実につき無罪とし被告人草野についてだけ有罪としたことは採証の法則に反するか理由にもくいちがいがあるというのである。

しかし草野透の検察官に対する昭和二九年一一月二日附供述調書によると「当夜の宴会は誰の主催であつたか隈部からは単に「まつもと」で歓送迎会をすると聞いたが天洋の社長や大渡副社長が席に加わつたので松元等が業者として私共四人を接待するのではないかと思つた」旨の係述があり、その他原判決挙示の証拠(判示第一の三の(四)に関する)によると同被告人の原判示職務に関する認識のあつたことは認められないことはない。なお所論の被告人四元に関する無罪の理由は検察官の論旨第一の九において説示したとおり特別の理由が存したものであり、被告人隈部に関する部分は同論旨第一の十二において説示したとおり原判決の認定は誤認であり、同無罪部分は破棄を免れないのでこの点に関して原判決に採証法則の違反があるか理由のくいちがいが存する旨の論旨については判断を省略する。

同論旨第二点(事実誤認)について

所論は原判決は被告人草野につき同被告人が昭和二八年八月八日、同年九月九日旅館「まつもと」で飲食或は性交したことを自己の職務に関して収賄したと認定したが同被告人と松井葉留子との情交関係は個人的な愛情により松井から誘われたものと同被告人が考えていた点からすると同被告人が自己の職務に関して贈賄される旨の認識があつたとは認め難いので原判決はこの点につき誤認があるというのであるが原判決が示した証拠(原判決第一の三の(四)に関する)によると所論の原判示事実は認められないことはないので論旨は理由がない。

論旨第三点(事実誤認)について

所論は原判決の被告人草野に対する追徴の額について誤認があるといい尚同弁護人の被告人地福馨、同大渡義夫に関する論旨末項に被告人草野に関する原判決の量刑不当の論旨があるが被告人草野に関する原判決は同被告人に関する検察官の論旨第一の十六において説示したとおり事実誤認により破棄せざるを得ず従つて同被告人に対する追徴額は当裁判所において認定するところと結論を異にすることとなるから弁護人の右追徴に関する誤認と量刑不当の論旨については特に判断はしない。

弁護人後藤英橘の被告人上妻正行に関する論旨第二点(事実誤認―論旨第一点は被告人大井同熊原に関する)について、

所論は原判決は被告人上妻正行の関係において有罪の認定をするにつき被告人上妻正行、同中野晴雄の各検察官に対する供述調書を他の証拠と共に挙示しているが、同人等は原審第一回公判において贈賄の事実を認めているのであるから、刑事訴訟法第三二二条により右両名の検察官面前調書はこれを証拠として採用することはできないものであるから原判決には訴訟手続について法令の違背がある(論旨は無罪であるとしてあるが所論は同被告人等が原審公判廷において判示事実を自白していることをも認めており論旨自体矛盾しているので訴訟手続の法令違背の趣旨と解する)というのであるが所論の同被告人等の所論の検察官面前調書は原審第一回公判において同被告人担当の後藤弁護人自身でこれを証拠とすることに同意しており、同被告人においても何等の異議なく適法にその証拠調が為されたものであることが認められるので、該供述調書を事実認定の証拠とした原審の措置に違法の点はない。所論の水間兼夫の検察官に対する供述調書に関する論旨についても同じである。なお所論末段において被告人上妻は無罪たるべきものでその理由として原審公判における同弁護人弁論書を援用しているがかかる原審公判における弁護人の弁論書を控訴趣意書の代りとして援用することは許されないものと解するのでこの点については判断しない。論旨は理由がない。

同弁護人の被告人幸田宏に関する論旨第三点(事実誤認)について

所論は原判決は被告人幸田宏が大井等に女性を提供して情交させ贈賄したと認めたが、それは人身を物と同一視する思想に由来し人権尊重の憲法第一三条に違反するというので按ずるに女性を性交の対象としてこれを贈賄の具に供することが人権尊重の精神に反することは明らかであるが人の情欲の対象となる性交行為も人の欲望を満たすに足る利益と解せられるので婦女の提供を受け、これと性交した場合にはその利益を受けたものというべきである。贈賄の具として婦女を提供することが憲法の精神に反することと、これを収受した者に対して収賄罪が成立することとは別個の問題である。なお所論後段の原審における弁護人の弁論書援用の部分については前と同じ理由により判断しない。論旨は理由がない。

以上説明のとおり検察官の論旨中被告人曽木隆輝に関する昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第二の一(第一の一に照応する部分)同公訴事実中第二の二の中第一の二、イロニに照応する部分被告人草野透に関する無罪部分の内昭和二九年一一月八日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(四)に関する部分、被告人隈部正人に関する無罪部分のうち昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(3)に関する部分、及び被告人地福馨の本件控訴は理由があるから同被告人に関する有罪部分はいずれも刑事訴訟法第三九七条によりこれを破棄する。なお被告人草野、同隈部に関する有罪部分の判示事実は同被告人等に対する右摘示無罪部分の判示事実と併合罪の関係あるものとして起訴せられたのであるから、該無罪部分を破棄してこれを有罪と認定する以上、有罪部分の判示事実を併合罪として一の刑を以つて臨まなければならない関係にあるので同被告人等に対する該有罪部分も同法条により破棄する。そして右事実については当裁判所で判決するのを相当と認めるから同法第四〇〇条但書により更に後段のとおり判決する。

検察官の被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同四元幸男に関する本件控訴及び被告人隈部正人に対する公訴事実中昭和二九年一一月一三日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(1)に照応する部分被告人草野透に対する同年一一月八日附起訴状公訴事実中第二の中第一の(三)に照応する部分、被告人曽木隆輝に関する昭和二九年一一月一日附起訴状公訴事実中第二の二の中第一の二(ハ)に照応する部分及び同年一一月一一日附起訴状公訴事実中第二の点はいずれも理由がないから同法第三九六条により各棄却する。

被告人松本道生、同大渡義夫、同幸田宏、同草野透、同曽部正人、同上妻正行の本件控訴も理由がないので、同法条によりこれを棄却する。

当裁判の認める罪となる事実

被告人地福馨については原判決摘示の有罪部分と同一であるからこれを引用する。

被告人隈部正人については原判示第一の三の(三)(隈部正人関係)の(2)被告人隈部正人は前記(1)の記載(ハ)(ニ)のとおりとある部分を被告人隈部正人は前記(1)の(ロ)(ハ)(ニ)と訂正する外原判決記載のとおりであるからこれを引用する。

被告人草野透については原判示第一の三の(四)(草野透関係)の(2)「被告人草野透は前記(1)の(イ)(ロ)(ニ)記載のとおり」とある部分を「被告人草野透は前記(1)の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)記載のとおり」と訂正する外原判決記載のとおりであるから、これを引用する。

被告人曽木隆輝については

被告人曽木隆輝は昭和二二年五月頃から鹿児島県姶良郡加治木町長として同町役場における事務一切を指揮監督し同町が施行する昭和二八年度加治木町上水道工事につき競争入札すべき者の指名、予定価格の決定等に関する業務に従事して来たものであるが被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏が共謀の上旅館「まつもと」で昭和二八年度加治木町上水道工事の入札指名等被告人松元等の経営する土建業に関連する被告人曽木の職務執行につき将来便宜な取扱をして貰い度い趣旨で供与するものである情を知り乍ら

(1)昭和二八年六月二日五百円見当の御馳走を受け、かつ同旅館の一室で船川二見と同衾し

(2)同年六月一九日金五百円見当の御馳走を受け

(3)同年七月八日金五百円見当の御馳走を受け、

(4)同年九月上旬金五百円見当の御馳走を受け同旅館の一室で地福光子と情交し

もつてそれぞれ前記自己の職務に関し賄賂を収受したものである。

証拠

被告人隈部正人については原判決が判示第一の三の(三)につき、被告人草野透については同第一の三の(四)につき、被告人曽木隆輝については同第一の三の(七)につき各摘示した証拠を引用する外、被告人隈部正人につき、当審証人松元道生、同大渡義夫、同草野透、同四元幸男、同田中武熊の供述、被告人草野透につき当審証人松井葉留子、同横瀬大八の供述、被告人曽木隆輝につき当審証人地福馨、同大渡義夫、同松元道生、同岩山ムメの供述。

法律の適用

被告人地福馨につき原判決が確定した事実に法律を適用すると同被告人の判示所為中第一の三の(一)ないし(八)(但し(一)ないし(六)については各(1))は各刑法第一九八条第一九七条第一項前段第六〇条罰金等臨時措置法第三条(懲役刑選択)に、第一の五の公正証書原本不実記載の点は刑法第一五七条第一項、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条(懲役刑選択)に、不実記載公正証書原本行使の点は同法第一五八条第一項第六〇条、罰金等臨時措置法第三条(懲役刑選択)に、同第六の背任の点は刑法第二四七条第六〇条第六五条第一項、罰金等臨時措置法第三条(懲役刑選択)に該当するが、第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(ニ)と第一の三の(四)の(1)の(ニ)の贈賄は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であり、公正証書原本不実記載と、不実記載公正証書原本行使とは手段結果の関係にあるから、刑法第五四条第一項前段、後段第一〇条により前者について第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪の、後者について不実記載公正証書原本行使罪の刑により処断すべく以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により最も重いと認める背任罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役一年六月に処し、犯情により同法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文掲記のとおり同被告人に負担させる。

被告人隈部正人の判示所為(原判示第一の三の(2)の(ハ)(ニ)の外(ロ)を含む)被告人草野透の判示所為(原判示第一の三(四)の(2)(イ)(ロ)(ニ)の外(ハ)を含む)被告人曽木隆輝の判示所為は各刑法第一九七条第一項前段に該当するが、判示被告人の各所為は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により各犯情の重いと認める被告人隈部の判示第一の三の(2)の(ニ)の罪、被告人草野の判示第一の三の(四)(2)の(ニ)の罪につき被告人曽木につき判示(4)の罪につき各法定の加重をした刑期範囲内で同被告人等に対し各主文掲記の刑を量定する。但し情状により同法第二五条第一項により右被告人三名に対し裁判確定の日から各一年間右刑の執行を猶予する。なお同法第一九七条の四後段により同被告人等から収受した賄賂の価格を追徴し、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文掲記のとおり訴訟費用を負担されることとする。

よつて、各主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 二見虎雄 裁判官 後藤寛治 裁判官 矢頭直哉)

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